No.6 不安障害と私~他者とコミュニケーションができない~

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パニック障害の初期は天候の悪化、テレビ、音全てが刺激となり、過呼吸・手足の痺れ・動悸・ファっとした感覚・自己コントロール不能等、様々な辛い症状を体験してきました。

心療内科に受診する前は、規則正しい生活・ウォーキング・ヨガ・瞑想を行うことでこれらの症状が軽減することはできましたが、完璧に症状が改善することはできず回避行動が出現していました。その中でも大変だったのが、他者とコミュニケーションをとることでパニック発作が出現していたことです。

そうです、他者とのコミュニケーションを取ることが回避行動にでていたのです。今回はどのようなことで他者とのコミュニケーションが辛かったのかお話ししていきます。

クリーニング店にて

3月下旬にパニック発作が出現していきなり翌日から日常生活を送ることが困難になりました。多大なるストレスが重なり、脳の機能が低下して少しの刺激で脳内が「闘争か逃走か」のパニック発作が出現していたのです。

認知行動療法を経て、4月中旬には外に出てもパニック発作があまり起きなくなっていました。体調の良い日に冬物のクリーニングのためにクリーニング店へ行きました。「クリーニングを出してお金を払えば終了だしきっと大丈夫」。しかし、予想外のことが起きたのです…

クリーニング店のスタッフ
クリーニング店のスタッフ

4月って色々大変ですよねぇ。私高校生の息子がいるんですけど毎日のお弁当作りが大変なんですよぉ。

と、たわいもないと言いますか、どうでも良い会話が…

corocoro
corocoro

しまったぁ…(どうでもいいから、早くしてよ…)

この時期の私は他人と話しをするだけで、動悸・過呼吸・手足の痺れが出現するレベルだったのに、とんだ災難になってしまったのです。ましてや、クリーニング店でこんな個人的な話をされるのもとても迷惑でした(健全な時も同じことを思っていたはずです)。

私は苦笑いしながら、「大丈夫、不安は死なない」と言い聞かせてその時間を過ぎるのを待ちました。今思えばほんの3~5分だけだったのに、逃げられない状況が刺激となりとても長い時間に感じました。

その時の症状は少しファっとしたものの、苦い体験として脳に記憶されてクリーニング店にいくことが億劫となり、クリーニングを取りに行く時は下を向いたりと話かけられないオーラを出してパニック発作が起きないように対策をとっていました。

このようなことが理解されないと、この人態度が悪いなど印象を持たれてしまい人間関係にまで悪化してしまいます。

パニック障害・不安障害と戦っている人にこのような態度を取られた時がある、またはこのような状況を目にしたことがある、なんでだろう…。こう思ったことのある方、実は本人はその状況にとても苦しんでいるのです。

こうゆう時は静かに見守って頂くとありがたいのです💗

姉の帰省にて

今回のパニック発作になった原因は沢山のストレスが重なったためでしたが、一番大きいストレス源は母の癌の闘病の介護でした。去年の秋に母の癌が見つかり、抗がん剤を行ってからの手術。

パニック発作が出現するまでは、普通に病院の通院に付き添いをして、昼夜問わず抗がん剤の副作用で吐き続ける母を、夜勤もしながら介護をしていました。もちろん不眠状態も続き、多大なるストレスから私の脳の機能は低下して少しのことで「闘争か逃走か」のパニック発作が出現してしまったのです。

そこからが大変でした。

日常生活が送れないほどの症状に悩まされた私は外にでることも大勢の目のある所に行くことができず、母の手術する病院の付き添いすらできなくなっていたのです。

そこで登場したのが県外に住む私の姉です。

手術や病状説明のたびに帰省をしてくれました。私を含め、家族全員姉の帰省を楽しみにしていました。しかし、不思議なことに、姉が家に帰ってきたとたん、動悸・軽い過呼吸が出現したのです。

この頃は心療内科に通院して内服治療を開始した3週間後でした。少し時間が経過して症状は治まりましたが、会うことを楽しみにしていた兄弟でさえ、まだ、パニック発作が出現していたのです。

職場のスタッフとの会話にて

仕事をしてお金を稼いで生活をすること。当たり前ですが大人になったら当たり前のことですよね。学生さんなら学校に行き社会を学び、勉強をすることが仕事ですよね。

パニック障害・不安障害の人はこの当たり前のことが全くできなくなる上に、周りから理解が得られないことで、症状は苦しい上に、理解されない苦しみが付きまとい、症状が悪化してしまうという悪循環に陥ってしまいます。

現在の私は心療内科に通院して内服治療を継続しながら職場復帰をすることができています。しかし、ここまでくるまでには平坦な道のりではありませんでした。

私は総合病院の病棟で勤務を行っています。スタッフ・患者含め沢山の目があります。

何度もお話しさせて頂いてますが、パニック障害・不安障害と戦っている人は人の目が沢山あるところはパニック発作が出現してしまい、またその恐怖から沢山の目がある場所を回避してしまう回避行動をとってしまうのです。職場復帰した時、ありがたいことに皆が一人づつ優しい言葉かけをして下さいました。しかし、初めての職場復帰、そう私の心情は「もう話かけないで…」とうつむいていまし。。そんな私を見た元気なおばちゃんスタッフが「大丈夫?元気ないよ」と元気な声で声を掛けてくださいました。「元気ないんです…話かけないで下さい…」そんな心情でした。

その時の私の朝の状況は、片道18kmの運転中に少し手足の痺れがでてしまい、車を停車して不安時の内服をして休憩してからの最終発。病欠後初めて行く病棟、久しぶりに会うスタッフ達に緊張をしていたのです。その日は表情も良くすることができず、話かけないでオーラ―を出しまくって仕事をしていました。

しかし、それで良い訳ではありません。いくらパニック障害・不安障害と戦いながら職場復帰しても、残念なことに周りには理解されません。

そすです、パニック発作を出現しないために人と距離を置くことは、相手が理解しないと関係性が悪化してしまうのです。

そこで職場長に「職場復帰をして皆が暖かい言葉がけをしてくれたことにとても感謝しました。しかし、朝出勤するのもやっとな状況で病棟に来てスタッフと話しをすることは、今の私にはハードルが高く、パニック発作が起きてしまうのではないかという恐怖からスタッフと目をそらしてしまう状況です。仕事になれるまで数か月の時間がかかると思います。しかし、後戻りするような状況にはなりたくないので小さな目標から少しづつこの職場に慣れて完全復帰をしたいと思います。申し訳ありませんが、師長さんからスタッフの皆にこの旨を伝えていただくとありがたいです。」と意を決してお話ししました。

ありがたいことに職場長も理解が得られる方で職場長・病棟スタッフの協力もあり1回も休むことなく、又病状悪化をすることもなく現在は普通の仕事をして、スタッフともたわいもない会話もできるようになりまし。。

まとめ

パニック障害・不安障害はストレスによる脳の機能低下によるもので、少しの刺激で脳が「闘争か逃走か」の反応を起こしてしまいパニック発作が出現してしまいます。パニック発作は経験した人にしかわからないと思いますが「死を覚悟する恐怖」を経験しています。

それが脳にインプットされてしまい、刺激となること回避する行動に出てしまいます。回避行動が重なると生活も社会生活もできなくなり、回復するためにはそうとうな努力が必要になります。

今回は他者とのコミュニケーションについてお話しさせていただきました。小さなことを積み上げることにより、経験値が増し回避行動が払拭されます。

しかし、他者とのコミュニケーションで距離を取ってしまうと理解が得られず関係性が悪化してますます社会生活が難しくなってしまいます。こうならないためにも、「自分の症状、今できないこと、でもこうなっていきたい」ということを、決心は必要ですが周りに伝えるこも大切なんだなと実感しました。

💗ゆっくりと・あせらず・自分のペースでいきましょういつでも質問・相談を受け付けます💗

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